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ウォルドルフ・アストリア・ホテルのエントランス
Waldorf Astoria Hotel
 98年8月30日、ケネディ空港でのトラブルのために約2時間遅れで、ニューヨーク・マンハッタンのウォルドルフ・アストリア・ホテルに到着。
 日本でホテル・リストを見て、便利のよい立地条件と安い料金に惹かれて予約した後で、アストリアという名前に気付いてびっくりした。たしか昭和天皇陛下がお泊りになったはずである。
 西はパーク・アベニュー、東はレキシントン・アベニューに玄関を設けた27階建て1200室。メイン・ロビーは高い天井と見事な彫刻が施された大理石の柱が並び、マホガニー材の家具類と見事な調和を示し、同じ茶系色のミリタリー・ルックの制服のスタッフは白人、黒人、相半ばし、その応対はいづれもさすがと思わせる見事なもの。
 100年の歴史をもつこのホテルが現在地に移転したのは1931年。その移転跡地に建設されたのがエンパイア・ステートビルで、今もニューヨークの象徴として世界中から観光客を集めている。
 部屋に落ち着いて間もなく、タカラベルモント・アメリカ支社の柳原社長とロビーで会う。彼は大阪万博を成功させた後ニューヨークに赴任、私とは27年ぶりのゴタイメェ〜ンで、私の家族とともにレストランで昼食、当時の同業者の現状などに話の花が咲いたが、折悪しく明日からの日本に出張とのことで、社員2名に申し付けてあるから自由に使ってくれと言われたが謝絶し、ニューヨークを発つ時に空港までの車の手配だけを依頼する。なにしろ、来る時の空港からのイエロー・キャップの粗暴な運転には恐れをなしたから。
 「エライ所に泊まってますね、ここは各国の元首が泊まるホテルですよ」といって彼が帰った直後に、ジュニー・キムさんからの電話が入った。彼女とは1974年(昭和49年)にソウルで知り合ったもので、24年ぶりの邂逅。夕食の予約をする。
 結局、このジュニー・キムさんが私達を毎日、案内してくれたのだが、本当にありがたかった。
柳原社長とロビーにて
 5時頃、部屋のチャイムが鳴る。ドアを開けたところ、入口の枠にぶつけないように頭をうーんと下げて入ってきたのは2メートルは十分にある長身の黒人。驚くほど太くたくましい両腕で運んできたのはエキストラ・ベッドだ。ツィン・ルームに3人で泊まるために運んできたもの。彼は私の指示通りに大きな2台のベッドを軽々と移動させてから、エキストラ・ベッドを設置したために狭くなった室内を見回すと、置いてあったマホガニーの重いサイドテーブルを、これも軽々と持ち上げて収納庫と天井の間の空間に移動させたあと、ゆっくりと振り返り、なんとも可愛い笑顔を見せた。私は1ドルを手にすると心からの感謝を込めて手渡した。彼はサンキューを繰り返しながら大きな体を小さく折って、さわやかな風を残して去っていった。まさにさわやかな風であった。
 このホテルのロビー・サイドを通るたびに気になる中の明るさが際立って見える。常にドアの開け放された部屋があった。共用のトイレである。
 家内と共に前を通ったときに入ってみた。予期した通り物陰から一人の男が現れた。長身を茶色の制服にビシッと身を固め、美髭をたくわえた初老の白人紳士。「Well come!」と丁寧に案内してくれた。大理石の壁・床・大きな洗面台などすべてが光り輝くという形容がぴったりと決まるほど美しさでピカピカに磨き上げられている。残念ながら、このように美しいトイレを見たことがない。
 感心して出てくると、彼はさわやかなスマイルを浮かべながら「Please!」と、洗面所の手洗用の湯を出し、そこに手を持っていくとすかさず石鹸水をかけてくれ、洗い終わると同時にさっとタオルを渡してくれる。そのタオルで手を拭きながら、さていくらチップを渡したらよいものか思案したが、傍らに1ドル紙幣が置いてあるのを見て、何のためらいもなく1ドルを渡して出口へ向かった。彼は例のスマイルと共に「Thank you very much」と見送ってくれた。
 部屋へ帰ってから、しばらく考え込まずにはおれなかった。サービスとは果たして何であろうか?どうあるべきなのか?さらには1ドルの価値とは?日本では120円の価値とは?
 このトイレで、120円の“物”を買うことは出来なかったが、損をしたという気持ちは少しもなく、むしろ金では買えない“大きなモノ”を得たように感じた。
ウォルドルフ・アストリア・ホテル
 8月も末、そろそろ秋風が吹き始めるニューヨークだが、残暑は厳しく街を歩く人々は白一色で若者はTシャツ短パンで闊歩している。
 同じ若者だが、ドア・ボーイはじめこのホテル外回りの仕事で働くホテル・マンの彼等は、服装の乱れなど微塵もカンジさせない制服に制帽をビシッと着用、それがまったく当然のように振舞われていたのであった。考えてみると実に大変なことなのに改めて驚かされた。
 ホテル内部はエアコンで快適に保たれているが外部は30度を超す猛暑。その中で彼等は車が玄関に到着するたびに、さっとドアを開けてにこやかに客を迎え、荷物があればすぐにポーターを手配する。玄関を出てくる客に対ししては間髪をいれずタクシーを呼び寄せ、笑顔と敬礼で見送る。このキビキビした動作は流れるようなテンポでさわやかに続けられる。すべて白人の青年で好男子揃いだ。中には征服の上にコートまで着込んでいる者もいるのには、さらに驚かされた。湿度が低いので汗にまみれることはないが、汗の出るのは事実である。
 この時、こんな逸話を思い起こした。歌舞伎の名優・中村歌右衛門丈の“汗”の話だ。歌舞伎の衣装はかなりの重量と聞いているが、それを身に着けて所作事を続ける彼の顔には、いささかの汗も感じられない。しかし花道の真上の座席から見下ろした彼の首筋は、したたる汗にまみれていたという。歌右衛門の鍛え上げられた芸が成しえたものだという。
 ニューヨークの若いホテルマンと歌舞伎の名優を比較するのは無理があるかも知れないが、それぞれプロ意識という観点から見れば、うなづける話ではないだろうか。
ウォルドルフ・アストリア・ホテル
 さて、ニューヨークのホテルマンの中でも、どちらかといえば底辺に属して働く人達について書いてきた。
 彼等のサービスマンとしての徹底した職業意識の凄まじさに、私は大きな感動を覚えた。日本のような終身雇用制や年功序列制度もなく、いつ振り落とされるか分からない、まったくの実力主義・実績主義のアメリカ社会ではあるが、それにしても見事なプロ意識の昂揚であった。(つづく)
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